電報で弔電 例文紹介 2

こんにちは。


今回も、電報 弔電の例文を紹介します。


「ご令息のご急逝の報に接し、ご両親の悲しみを思うと、お慰めすることばもありません。


謹んでお悔やみ申し上げます。」


・・・これは子どもを亡くした親に向けての弔電文です。


以下に、シンプルで短文の弔電をあげていきます。


「謹んでご冥福をお祈り申し上げます。」


「ご訃報に接し、慎みてご逝去をお悼み申し上げます。」


「ご逝去を悼みご冥福をお祈り申し上げます。」


「○○様のご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます。」


「○○様のご逝去の報に接し心よりお悼み申し上げます。」


短文の弔電は、あまり親しくなかった間柄の人に対して送るときにいいでしょう。

電報で弔電 例文紹介

電報 弔電で送る弔電の例文を紹介していきます。


弔電などは祝電と違ってくだけたものにするべきではないので、例文そのままを使用しても問題ないでしょう。


「ご尊父様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。」


・・・ご尊父様の部分は、ご母堂様、ご主人様、ご令室様などと言い方を変えて使用します。


「突然の悲報に呆然としております。在りし頃の故人のお姿が思い出され、胸が詰まります。


皆さまのご心痛をお察し申し上げますとともに、ご冥福を心からお祈り申し上げます。」


少し長めの弔電文です。


葬儀に参列できずに悔しいという思いも伝わる文章です。


「ご療養のかいなく、とうとう帰らぬ人となってしまいました。


看護なされていたご家族の皆さまも、さぞかしご落胆のことと、ご推察申し上げます。


謹んでご冥福をお祈り申し上げます。」


・・・これは病気療養の果てに亡くなった故人へ向けての文章です。

電報の弔電とスパイ事件 2

みなさんも電報 弔電などを打つ際に電報を利用することがあると思います。


わたしたちの生活に欠かせない、そんな電信の歴史を紹介します。

ゾルゲの収集した情報は、正確なものでした。


しかしこの決定的な弔電のような電報情報をソビエト指導部は信用せず、無視してしまいます。


スターリンは、


「ドイツはヨーロッパでイギリスをはじめ連合国と戦っている。


第一次大戦の教訓をふまえても、ソビエトを侵攻し二つの方向で戦う無謀な戦争をドイツがはじめるはずがない」


・・・と確信していました。


ゾルゲがドイツ人の血を引いていることも、モスクワの指導部に不信感をもたれていたのです。


ゾルゲの情報通り、6月22日未明、ドイツ軍は突如ブインランドから黒海に至る長大な戦線において空陸一体の攻撃を行ないます。


ブインランド、ルーマニアなどの従属諸国の軍隊を含む150箇師団の大軍をもって一斉にソビエト領土に侵入。


ソビエトは組織的な戦闘ができないまま、初戦に大敗を喫してしまいました。

電報の弔電とスパイ事件

みなさんも電報 弔電などを打つ際に電報を利用することがあると思います。


わたしたちの生活に欠かせない、そんな電信の歴史を紹介します。

1941(昭和15)年、ゾルゲのもとにはドイツの対ソビエト攻撃開始を知らせる情報が続々と集まり、ゾルゲはその情報を次々にモスクワに宛て弔電のような電報を送信しました。


発信東京 5月2日 11時05分


私はドイツ大使オットおよび海軍武官と独ソ間の相互関係について話し合った。


オットはヒトラーがソビエートを粉砕し、ドイツが全ヨーロッパを掌握するために、ソビエトのヨーロッパ部を穀物原料基地として、自分の手におく決意に満ちていると述べた。


(以下略)ラムゼイ


東京 1941年5月30日


ベルリンはオット大使に、ドイツの対ソビエート攻撃は六月後半に開始されると伝えてきた。


オットは九五パーセントの確率で戦争が開始されると確信している。


この件について現在私が見ている間接的な証拠は、下記の通りである。


私の都市にあるドイツ空軍の技術部は至急帰国せよとの指令を受けた。


オットは駐在武官にいかなる重要な報告もソビエト経由で送らないように要求した。ソビエト経由の。


コムの輸送は最低限まで減らされた。


(以下略)ラムゼイ

弔電の電報 その歴史 (4

今は電報 弔電などを打つ際でも、簡単に電報を申し込むことが出来るようになりました。


今回も、電信の歴史を紹介します。


戦時体勢下の業務運営日支事変勃発以来の業務の繁劇模様は記憶も生々しく、また関係紙誌に伝えられるところです。


太平洋戦争後も、電報通数の激増、要因事情悪化は依然として続き、業務全般にわたって更に苛酷の度を加えていきました。


かつての文化の先駆は、軍閥の先駆たる観を呈し、"通信戦士"なる称号で士気を鼓舞されはじめたのもこのころのことでした。


通信院設置(昭和18年11月)に始まる戦時通信非常体勢は、通信防衛総本部の設置(昭和19年1月)を促し、その後、電報局にも監査課に防衛部が設置されることになりました。


当時は既に、米空軍の本土空襲は激化、規模は増大し、戦局は末期的症状を呈しつつありました。


20年4月には、決戦非常措置として通信院(昭和20年5月設置)各機関はすべて部隊組織で編成され、更にはこれまでの徴用免除の特令は、全電信従業員の徴用へと転化するに至りました。

弔電の電報 その歴史 (3

みなさんも電報 弔電などを打つ際に電報を利用することがあると思います。


わたしたちの生活に欠かせない、そんな電信の歴史を紹介します。


電信事業にとって、それは重大な意義と期待があったのです。


しかし、これとても戦争への突入によって所期の目的どおりその進展をみるには至りませんでした。


経済恐慌、あるいは戦争などの社会情勢が電信事業の拡張改良を阻止する傾向をたどったことは再々に触れてきたところですが、逆に飛躍改善をもたらしたものに有無線の合併(昭和10年4月)があります。


合併の動機となったのは次の理由によるものでした。


当時、世界情勢は日増しに緊張の度を加えつつありました。


特に戦機を孕んだ国際情勢は外交を繁劇にし、かつ対外貿易をも促進し、対外電信は非常な重要性をおびるに至ります。


ところが有無線局間の中継方式に欠陥があって外国電報の国内経過時闇が長大に過ぎ、このことが社会的問題に発展していったのです。


ここにおいて有無線の有機的な連繋を強化し問題の処理を図ることとなり、有無線局合併が断行されたのでした。


この結果、当局は東京無線電信局を吸収し、対外電信の国際関門局としての機能を備え、内外を通じ大電信局を形成するに至ったのです。

弔電の電報 その歴史 (2

今回も、電報 弔電などで利用する電報の歴史です。

当時ますますし烈化してきた戦局に呼応し、戦時下の通信と輸送力確保を趣旨として、鉄道、逓信両省を合併し運輸通信省が設置されたのに伴って逓信省は同省の外局として通信院となったものです。


日支事変に至るまでの当局の動き


昭和初期における当局の運営は、新局舎移転後の成果に期待を寄せながらスタートしました。


しかしながら、その後経済不況、戦時体制移行など不可抗力な障害に遭遇し、必ずしも予期どおりの進展をみるには至らなかったのです。


数次にわたる電信事業拡張改良計画も、通信機器の改良、特に高速度化への考慮までにはかなりの開きがありました。


従って、日支事変以降における異常な業務量の膨張に対応するそ通機能に重大な影響をおよぼしたことは、種々の記録が伝えるところであり、また記憶にも新しいことです。


昭和9年、長年にわたる懸案であり、かつ通信事業にとって悲願であるとさえ唱えられていた「通信特別会計制度」が実施されました。


将来の事業経営とその成果に対する期待は、全従業員はいうまでもなく、社会各般からも大なるものがありました。


特別会計制度実施にあたり、当局では"無駄排除週間"などの記念行事を開催し、制度の意義、電報サービスの向上の必要性、物資の節約などを強調し、更には周知宣伝室を設置して電信事業のPRを実施したことが記録に残されています。


これは特別会計制度実施への喜びと期待を物語る一例ですが、一現業局においても同様のことでした。

弔電の電報 その歴史

電報 弔電などを送る際に利用する電報。


その歴史は意外と知られていません。


今回は、そんな電報、電信の歴史を紹介したいと思います。


昭和14年の第二次欧州大戦の勃発に次いで、16年には遂に太平洋戦争へと突入。


全世界が戦時体制下に置かれるに至りました。


この間における日本経済は、逐年、戦時経済の色彩を強めていきます。


従って電信事業拡張に要する原資も陰に陽に軍需生産に吸収されるところとなり、13年度以降は毎年度計画へと規模が縮少されるに至りました。


一方、規則・制度の動きについてみると、恐慌から戦時への時代的背景、即ち国策的な要請に基く部分的な変遷にとどまり、大改正は行われていません。


東京・大阪間における写真電報の取扱開始(昭和5年8月)、貼附式和文印刷電信機の採用(昭和12年11月)、日満間(東京・新京)模写電信の開始(昭和18年12月)などがこの時代を代表する電信設備の進歩発展でした。


見のがし得ない重要事項としては、通信院の発足(昭和18年11月)がありました。

「お」と「ご」、敬語の使い方と弔電

お悔やみ、お言葉、お願い、ご弔慰、ご列席、ご着席などの場合の「お」「ご」は尊敬語です。

相手の事物や行為を示す言葉に「お」や「ご」の文字をかぶせることによって、相手に対するご尊敬の意を表わします。

また、「お願いいたします」「御礼申し上げます」「ご報告いたします」のように、願ったり、感謝したり、報告するのは自分ですが、これを相手方に対して行なう場合に、このように「お」「ご」をつけて尊敬表現とする場合もあります。


敬語というのは、相手の人格を尊重する言葉で、尊敬語(相手やその関係事物に対して敬意を表する言葉)、謙譲語(自分や自分の関係事物について卑下することによって間接的に敬意を表わす言葉)および、ていねい語を総称して敬語と呼びます。

電報 弔電を送る際にも、正しい敬語を使いましょう。


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スピーチの組み立ての基本と電報で送る弔電

何を話すか中身がきまったら、次は原稿を作ります。

原稿の組み立て方としては三段階法でまとめるのがいちばんわかりやすいでしょう。

(1)序論lI出だし
(2)本払甲i話の中心
(3)結論ll締めくくり

というのがこれです。

弔辞でいえば、

(1)故人への呼びかけ、死を知った驚きと悲しみ(序論)
(2)主になるテーマとして故人の生前の功績や人柄、故人から教えられたこと、故人に抱いていた自分の思いなど(本論)
(3)別れの言葉、冥福を祈る言葉など(結論)

告別式後の喪主の挨拶で言えば、
(1)会葬、見送りに対するお礼(序論)
(2)生前の厚誼や見舞いに対するお礼(本論)
(3)出棺にあたり最後の別れの言葉(結論)

・・・といった具合で、要するに、出だし(序論)と締めくくり(結論)の間に山場となる話材(話の中心)をはさんでスピーチを完成させるというわけです。

こうして原稿ができ上がったら、本番のつもりで声を出して読んでみましょう。

電報 弔電を送る場合でも同じです。

長いようなら大事なところを残して、思い切ってぜい肉をばっさり切り取り、スリムにすることです。